課題

2021.05.31

[課題]東日本大震災・原発事故後の心のケア(福島)

日常の話題に制限

 日常生活の場で会話するときに、本当は気になっているのに話題にはしない不文律のようなものができつつあります。

 放射線不安については、事故当初その低線量被ばくの健康被害がどの程度か “わからない”ということに反応して、人々は一種のパニックをおこしていたるところで話題になっていました。その暖昧さゆえに不安が共有しにくくなり「そのことは話したくない。考えると自分が嫌な気もちになるから 」「人によって心配な度合いが違いすぎて、下手に話すと気まずくなるから」と回避的になり 「いろいろな観点から 考え検討して、避難しないと決めたのに「お子さんが小さいのに避難しなくていいの ?」と聞かれると、まるで子どもの健康を犠牲にしていると責められるように感じるから」と、日常生活の中ではこの話題を避ける傾向になってきています。

 それは人々の絆を弱め、問題に立ち向かう力を低下させ、不安が潜在化し遷延化する傾向になってしまうのが心配です。

震災関連死(震災直接死以外)の際立った多さ

 原発災害を伴った福島県は、岩手県・宮城県とは異なる様相を示し、その特異性・深刻きは震災関連死の多さに表れています。震災関連死とは震災により直接的に亡くなったのではなく 、避難や避難生活の長期化によりストレスや病状が悪化しての死亡や自死などのことです。

 震災直接死と震災関連死を合わせた「震災死」のうち震災関連死の割合をみると、福島県は震災死の40% (1184/3004人) 宮城県は8%(821/ 9563人) 岩手県8%(338/4200人)です。( H24年11 月調査) 震災関連死は宮城県・岩手県ともにほぼ同じく8%ですが、福島県はその5倍の40%を占めていました。危機が続き「 暖昧な喪失」「 陵昧な不安」 といったこれまでの状況が、なかなか問題の解決へ向かえない状況を作り、震災関連死の多さに表れていると思われます。

寄付のお願い

 平成25年7月29日から8月10日にチェルノブイリ原発事故により放射能に汚染され、様々な支援を展開してきたベラルーシ共和国に視察に行ってきました。現地の心理士との対談の中で子どもたちのケアにカウンセリングや保養事業(健康増進・元気UP事業)の有効性が語られました。

 できましたら今後とも未来を担う福島の子どもたちを育むためにご支援を頂けますと助かります。 今後ともよろしくお願いいたします。

支援活動から見えてきた福島県の震災後

2011年3月:避難所巡り

 東日本大震災において被災地は、自身と津波により甚大な被害をこうむりました。中でも福島県は、東京電力福島第一原子力発電所が津波に見舞われ電源を失い、水蒸気爆発を起こし放射性物質がまき散らされる事態になりました。政府は当初原発から半径20kmを緊急避難区域に、半径20kmから半径30kmまでを屋内退避・緊急時避難準備区域に指定しました。浜通りに住む避難区域の多くの住民は2~3日の着替えを持っただけで、こんなに長期化するとは夢にも思わず半強制的に中通りや会津に避難させられました。

 わたしどもNPO(ハートフルハート未来を育む会)の前身である福島県臨床心理士会は、福島県教育庁学校生活健康課から緊急時派遣スクールカウンセラーの派遣を依頼され、3月22日から10日間、全県下の避難所になっている学校の体育館に支援に入りました。その時の保護者の心配は、避難はいつまで続くのか(早く戻りたい)、学校はいつ再開するのか、せっかく合格した高校の入学はどうなるのかというものでした。心のケアというよりもこうした現実の差し迫った問いに県教育庁からの情報を伝え、PFA(Psycological First Aid)に基づいて保護者にできるだけ安心感を持っていただけるよう活動しました。

 また突然友達と引き裂かれ心を閉ざした子どもたちには、心理教育でストレスへの対処を教えたりしつつ、年齢に応じた遊びの要素を取り入れた「出会いのワーク」や、コラージュによって激変した環境への適応と新しい仲間との関係づくりをサポートしました。実はその時一番心配だったのは、支援の対象外だった乳幼児の親にしがみついて片時も離れようとしない必死な姿でした。乳幼児親子に笑顔が必要だと感じ、保育士に親子あそびを支援してくれるように依頼したのが、「親子あそびと親ミーティング」の支援へとつながっていったのです。

2011年4月~2012年3月:学校再開後の震災支援

 4月福島県教育庁は、避難した生徒の高校を、避難先の近くの高校にサテライト形式で再開しました。小中学生は、避難先の地域の公立小中学校に転校することになった児童生徒が多数を占めました。また緊急避難区域の学校は、避難先の廃校を利用して学校を再開するところもありました。教員も原籍校を失い兼務辞令により、受け持ちの子どもが転入している学校を廻って指導するなど、通常ありえない混沌としたストレスフルな環境での新学期となりました。

 こうした中でも子どもたちは、けなげに頑張りました。外目には元気でその心の傷は身近な大人にも気づきにくいものです。また教師も児童生徒の心のケアを優先し自身や自分の家族のことは犠牲にしていました。したがって被災した児童生徒や教師のPTSD(外傷体験後のストレス障害)を予防し、激変した学校環境への適応を助けること、さらに個別の支援を必要としている児童生徒を発見し、心のケアを行うことがスクールカウンセラーに求められました。

 そこで、デブリーフィングのように侵襲的ではなく比較的安全に"今の思い"を自発的に語ってもらい、教室の仲間に共感支持される経験を通して、ピア・サポート力を賦活しエンパワメントされるような、教師と児童生徒の絆を結ぶ学級活動「福島版・学級ミーティング」を工夫しました。

 実施校のうち一部ですが、学級ミーティングを実施した後の感想は、以下のような結果が得られました。県内23校148名の教師の回答です。「学級ミーティング」を実施して児童生徒に「仲間意識が生まれた」「落ち着いた」「明るくなった」との回答が約70%みられました。自由記述欄には「普段の様子を見ている限りでは比較的通常と変わらず元気な子供たちではあったが、内面では不安に思っていたり、恐怖感を持っていたりすることがわかった。また、子ども同士でも同じに思う友達もいることを知り安心した子もいる」「子供たちに対する学級ミーティングも効果的だったが前日に行った教職員対象の研修会もたいへん有効だった。職員も被災者であり、それぞれが大きなストレスを抱えていることが実感できた」「子供たちも担任も心をほぐしホッと暖かな時間をすごすことができた」等、感想が述べられました。

2011年6月~2016年3月:ユニセフ心のケア事業

 上述したように就学児以上は文科省の緊急支援が施策され心のケアがなされる見通しが持てました。しかし一番放射線の影響を受けやすくリスクの高い乳幼児とその家族に対しては、2011年4月時点でも何も行政の支援策がうたれていませんでした。福島県臨床心理士会は「東日本大震災対策プロジェクト」を立ち上げ、未就学の乳幼児とその家族を主たる対象に支援を行う必要性を痛感していたところ、公益財団法人日本ユニセフ協会から「福島県における東日本大震災後の心のケア事業」の実施を委託され、連携協力関係を結びました。

 2011年から2013年までを東日本大震災対策プロジェクトが行い、2014年から2016年3月までをNPO法人ハートフルハート未来を育む会が事業を実施しました。

 支援方法は、震災・津波・原発事故・風評被害の4重苦にある福島県独自の工夫で「心理教育」「ピア・グループミーティング」「親子ふれあい遊び」の3本の柱を立てて支援を組み立てました。

1)心理教育という柱
①親の精神的安定の回復
:乳幼児にとって両親が安全基地であり、乳幼児はその愛着対象の親の情緒を手がかりに感情を調節し、精神的安定を得ていきます。その愛着対象である母親や父親の精神的安定を取り戻し家族の安定を図ることが課題の急務でした。
②避難や過剰防衛によるリクスへの注意喚起(リスクコミュニケーション)
:避難により家族の分断、安全基地の崩壊という現象が起きたことは想像に難くありません。放射線の健康への影響はもちろん心配ですが、愛着対象から分離される子どもの心の傷つきがもたらす心身の発達、パーソナリティ形成への影響などは、放射線による健康被害と比べ小さいものではありません。地場野菜や牛乳の制限等食事の偏りも、さらに外遊びの制限によるストレスや運動機能への影響の健康被害は、放射線による健康被害と比べ小さいものではないこと、むしろ低線量被ばくの福島の場合、ストレスの健康被害の方が大きいということを知らせる必要がありました。
③リスクバランスを自己決定する勧め
:それぞれのリスクを知ったうえで賢くストレスをできるだけ受けないで放射線を防護する工夫や、放射線のリスクと放射線防護のためのストレスリスクのバランスを取るといった姿勢も、受け身ではなく自分自身の判断(自己決定)として必要な考え方と思われました。

2)ピア・グループミーティングという柱
 何より福島に暮らす同じ立場の者として、前向きに生き育児を楽しんでもらいたい。それには、同じ立場の親同士が語り合うことで同じ不安を支え合って乗り越え、お互いに知恵や情報を出し合うことができるピア・グループミーティングが最適と考え第二の柱にしました。親どうしの絆に働きかけピア・サポートの力を活用し、それぞれをエンパワメントしていくやり方が、様々な情報を信頼できなくなっている親たちには一番効果的だと思われました。

3)「親子ふれあい遊び」という柱―ストレスマネージメントと愛着
 放射線の健康被害という「曖昧な不安」や避難生活のストレスは、母子の愛着を形成しにくくさせていました。
 保育士の協力を得て、親子のスキンシップと楽しい関わり・愛着を回復するような遊びを提供することにしました。
 不安を一時的にでも脇に置いて、集まった親子が楽しく手遊びしたり運動したりスキンシップを持ったりして過ごすことができると、子どもの笑顔がお母さんを癒やしお母さんの笑顔が子どもを癒やすという相互作用が起き、親子に安心感安全感をもたらします。

 以上のような3つの柱による方針で、2011年6月から以下に述べるような子育て緊急支援対策を福島県の被災親子に行いました。

1.子育て広場に来ている就学・未就学児と保護者への支援
2.各市町村の乳幼児健診の場を活用しての保護者への支援
3.公立・私立保育園、幼稚園、学校、学童クラブへの心理教育及び巡回相談
4.仮設住宅及び借上げ住宅などへの巡回相談
5.保健センター及びそれに準ずる施設などへの親子遊びと親ミーティングの支援
6.市町村保健師など支援者への心のケアに関する研修会の実施 7.子どもの支援に携わる人々への心のケア
 (個別相談、ピアミーティング)
8.福島県生協連との連携。「福島の子ども保養プロジェクト」
9.研修会の開催

 福島こころのケアセンターが2012年に立ち上がったため、この内4,6,7の支援は、2013年より同センターに委ねました。

支援経過

2016年時点

 震災後6年目に入った福島県の現状は、子どもたちは外で遊ぶようになり、放射線不安も表面的にはあまり気にせずに暮らせるようになってきていますが、原発事故の収束である廃炉はまだ30年以上かかると言われ、放射線汚染が健康に与える影響はまだ曖昧なままです。ストレスのレベルも下がってきたものの他県(福井、兵庫、秋田、鹿児島の各県の平均値、筒井ら2016)の子どもに比べまだ高い状態です。
 平成28年11月時点では、福島県民約8万4千人(その内県外4万人)が避難を続けていますが、田村市、川内村、楢葉町が避難解除され、平成28年葛尾村、南相馬市小高区解除と続き、帰還に向け新たな葛藤(戻るべきか否か)が生まれています。

対応する活動

対応する団体

参考資料

・ハートフルハート未来を育む会編(2016)『東日本大震災の心のケア事業 支援活動報告書 2011.3-2016.3』NPO法人ハートフルハート未来を育む会
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